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サブタイトル
「嗜癖は中毒ではない。
人は好きで嗜癖する。」
嗜癖(しへき)=Addiction
著者の主張には賛同しかねるけれど、分析されていることは興味深かった。
「
嗜癖システムにおける根本的な嗜癖は、無力と非生命性への嗜癖である。他のすべての嗜癖は、この二つの根本的な嗜癖から導き出された二次的嗜癖にすぎない
」
アルコールやドラッグなどへの嗜癖は、「無力と非生命性への嗜癖」に係る、二次的嗜癖である。
私たちに残された選択肢は、3つ。
・生きないで、死ぬ
・死なないで、生きる
・死なないで、生きない
嗜癖システムに支配された現代社会では、私たちは三つ目の選択肢を選ぶことを強要されている。
この後、現代社会がいかに私たちを支配して蝕んでいるか、という話が続くのだけど、それはさておき。
アルコールにしてもドラッグにしても、それに嗜癖する人というのは、「アルコールに嗜癖している」のではなくて、本質的には「無力と非生命性に嗜癖している」。
つまり、自殺願望?
ちなみに「嗜癖」と「中毒(Intoxication)」は異なるらしい。
主体が好んでそうしているのが「嗜癖」。
主体が好むか好まざるかに関わらず、結果として生じた"好ましからざる変化"が「中毒」。
だから、「アルコール中毒」と「アルコール嗜癖」とは、違うもの、、、ってことだよなぁ。
お酒が好きで飲みまくっていて、でもその深層にあるのは自己破壊願望である。
というのが「アルコール嗜癖」。
もはや酒が好きなのかどうかも分からず、でも飲まずにはいられなくて、体を壊している。
というのが「アルコール中毒」。
この理解が合ってるのか知らんけど。
別にアルコールに限らず、人間関係への嗜癖(=共依存)もあるしね。
何かに嗜癖していると、自分ではない何か大きなものにコントロールされているような感覚があって、心地良いもの。
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かまやつ女とは。
全体的にルーズでダボッとしたシルエットの服を着て、髪型もモッサリしている。穿くのはほとんどがパンツ。スカートを穿いたとしても、その下にスパッツや厚手のタイツを重ねている。重ね着が特徴。姿勢が悪く、歩き方が汚い。表情にも口元にも締まりがない。
こういった女の子が増えている現状から、世相を分析してみよう!という本。
対比されるのは、
・上昇志向が強いミリオネーゼ系、
・専業主婦志望のお嫁系、
・女であることを肯定するギャル系。
「かまやつ女」の服装は(一般的には)男にモテないので、「男にモテること」、「結婚する(=嫁に貰ってもらう)こと」という目的は、まず除外される。
彼女たちのキーワードは「楽に。」と「自分らしく。」なんだって。
「楽に生きること」と「自分らしく生きること」って、両立できないと思うんですが。
自分らしく生きるって考え自体が糞喰らえですが、百歩譲って「自分らしく生きたいわ」と思うのならば、決して楽はできないでしょう。
つまりここで言われている「楽に生きる」というのは、「無理をしない」とか「我慢をしない」などということで、それがつまり「ありのままの自分でいい」という意味での「自分らしく」につながってくる。
そういう意味で「自分らしく生きたい」などと言っている人は、組織で働くことは難しい。
だから、「かまやつ女」には上昇志向がない。
いや、、、逆か。「自分らしく生きたい」から嫌いなものを全て排除していったら、「上昇はできない」という結果に落ち着いた、というベクトルかね。
「「らしい」ことがかっこわるくなった」という言葉には、納得した。
「サラリーマンなのにサラリーマンらしくない」
「40代なのに40代に見えない」
「主婦なのに主婦に見えない」
「東大生なのに東大生らしくない」
「バンギャルなのにバンギャルだと見破られない」(ウソ)
といったように、「らしくない」ことが価値を持つようになった、という意見。
でも社会的存在としては、「らしく」なることを拒否していては順応していけないでしょ。
それに、「女らしい」ことと「自分らしい」ことは相反するものではなくて、重ねられるもの。
まず「女らしい」私がいて、その上で私は「自分らしい」、と捉えればいいんじゃないか。
そこを初めっから、「自分らしい」を最初に持ってこようとするから、おかしくなっちゃう。
うーん。
脱線するけど、
「女らしい」ことに拒否感を覚える人は多いのだろうか。
「女捨ててるからー」なんて、冗談で言ってる人もいるけどさ。
上記の4分類でいくと、私はきっとミリオネーゼ系なんだ。(貧乏だけど。)
上昇志向が強いし、成し遂げたいことはいっぱいあるし、「きれい」って言われたいし、「女としての人生は・・」などと考えたりするし。
だから、「女でいることが面倒くさい」とか「わずらわしい」とか「女扱いされたくない」と言っている人に会うと、ビックリする。カルチャーショック。「へぇ!そういう考え方もあるんだ!」みたいな。
できるだけ省エネで美味しいところを持っていきたいもん。
「女の子はかわいいねぇ」って言われて可愛がられて、ちゃっかり美味しいものが食べられるんなら、それはそれでいいじゃん!とも思う。
きっと男の人たちも、そこらへんは分かってるよ。(私、基本的に、「男はそれほどバカじゃない」という思考の持ち主。)
たぶんね、なんだかんだ言って、私は私のことが一番かわいいんだ。
だから愛想笑いもお世辞も平気なんだと思う。
自分にとって居心地良い空間を確保するために必要な手段だから。
反対に言えば、愛想笑いもお世辞もないところに、私にとって最も大切なもの、失くしたくないものがある。
本当に大事なもの、大切に思っているものほど、厳しく接する。
何が言いたいんだか分からんが。
要は、使える武器は最大限に活用して使っとけ!ってこと。
ただし、
「女らしく」あることは、目的ではなく、手段です。
私は「女らしくあること」も「サラリーマンらしくあること」も拒絶しない。逃げない。
そんなことくらいで軸はブレないからさー。
1970年代に戦時特派員記者としてサイゴンに赴任していた著者が、現地の女性と出会い、結婚して、彼女と娘を連れて日本に帰ってきた頃のお話。
ノンフィクション・・・なのかな。
文章がきれいです。
さすが新聞記者。
落ち着いた文章だけど、3%くらいのウィットを含んでる。
文化の違いについての考察が多いのだけど、結局は国の違いではなく、一人の人間と人間との関係なのだ、というところに落ち着いている。
人と人の関係って深いなぁーって、そんなことを考えました。
著者は、サイゴン赴任の後、日本に帰ってきて、それからまたバンコクに赴任します。
その時の様子を書いた本も出ているので、今はそのバンコク編を読んでいます。
小説の形を借りているけれど、小説ではない。
軸が二項対立になっているので、読んでいて理解しやすい構成。
肉体と精神。
首から下の自分と、首から上の自分(顔)。
普通、人間関係を築くには、まずは服を着たところからスタートするでしょ。
きちんと服を着て、肉体を覆い隠した「社会的存在」として認め合うところから始まる。
でも、この本の主人公の一人であるミッチーは、
本能をむき出しにした「肉体の関係」こそが人間の本質だと信じている。
精神→肉体 か、
肉体→精神 か。
人間の表層と本質は、それほどきれいに区切れていないよね。
浮いたり沈んだり、押したり引いたり。
ただ少なくとも言えるのは、どちらか一方だけの関係では満足できないってことかしら。
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