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かなり前に映画を見ました
そういえば

映画を見たのがはるか昔の記憶なので、本はさらにそれより前

映画、よかったなぁ
アンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソン


本作をカズオ・イシグロのベストと言う人と、『わたしをはなさないで』を最高傑作に挙げる人と、別れるらしい
私は後者かしら


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元ネタは、『日本奥地紀行』を書いたイザベラ・バードと、彼女を案内して回った青年。

あくまでも元ネタは元ネタですが。


恋の話ですね。


運命
人を狂わす力

人種、民族、年齢、環境、、、etc
間にある障害が大きくとも、引っ張る力が強ければそれは大したものじゃない。

この、抗し難い、とてつもなく大きなパワーっていうのは、感覚的に分かるわ。

でも、いざ自分がそのパワーの中に身を置いてしまうと、自分自身がその渦の中で振り回されているから、それがどれだけ大きなものなのか自覚できなくなっちゃうの。


一つの出来事を裏から見たらどうなるんでしょう?というおもしろさ。

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私が好みそうな題名の本が居間に転がってたので、ゴロゴロしながら読んでました

目次がね、

女装する女
スピリチュアルな女
和風の女
ノスタルジー・ニッポンに遊ぶ女
ロハス、エコ女
デイリーエクササイズな女
大人の女になりたい女
表現する女
子供化する女
バーター親孝行な女

と、
これを見るだけで「おもしろそうだぞ」と思うわけです


「女装の観点から、腐女子とやおいを見てみると」という項もあります
この考察はなかなかおもしろい
でも私は腐ってないので、この考察があてはまってるのかどうか判定はできませんが

そういえば、一昨年くらいに、ライヴの開演待ちで隣りにいた人にしゃべりかけたんですが、「はじめまして」の挨拶がとりあえず終わって、初めに聞かれたのが「腐女子さんですか?」でした
あの時はかなりビックリしました・・・
「えっ!?いや・・・うーん・・・違う・・・と思います・・・」って言いながら、「そうですって答えた方がよかったかな」とか「知ったかぶった方がいいのか」とか考えてしまって、しかもなんだか「負けたー」って気分になりました
だって、ライヴで同じ光景を見ていても、彼女の目には「腐」というフィルターがかかっているから、私とは見えているものが全く違うんだもん
こりゃー負けたわ!
その人とは今でも繋がってますが、いまだに発言することが未知です

本書におけるBL考察は、
「ボーイズラブのファンタジーの中では、女性は自由に攻めの快感を堪能できる」
ことにポイントがある、としています

「女である私という確固とした自我は限りなく存在せず、それだからこそ、物語の関係性の中に楽々と入っていくことができる」

「「私の物語だから好き」から、「私が登場しないから好き(だし、おもしろがることができる)」へ。」

「女とか男とかはあんまり関係ない私が、「女を装う」ことを楽しむという女の女装と、ボーイズラブの物語で自由に萌えの立ち位置を変える読み手の女性の感覚は、自我の温度が低い、という点で大変似ている。」

この「自我の温度が低い」というのは、うまい言い回しだと思いました

体の構造上、女性が女性の体のままで攻めに回ることはほぼ不可能じゃないですか
(全く不可能なわけではない)
だから、女性の体か男性の体かという2つの道と、攻めか受けかという2つの道を組み合わせた4通りの道を自由自在に楽しむことができる
それがBLの醍醐味らしいです


「表現する女」という章に、「ブログ日記が開けた表現の扉」という項もありますが、これはあんまりおもしろくなかった
おもしろくないというか、私が聞きたかったような切り口の話ではなかったので
聞き飽きたような陳腐な考察だったし

ブログを書くことの理由や意味って、より多くの人の目に触れて、有名になることなんですかね
最終目標は本にして出版することなんですかね
それがベストセラーになって映画化やドラマ化されることなんですかね

私は、それは違うと思うんですよー

世の中にはそういった目的で書かれているブログもゴマンとあるのでしょうが

今は「みんなのスター」よりも「私だけのスター」を求める時代なので、だからこそこれだけブログが流行ってるんだと思います



女が女装するのと、男が女装するのとは、同じ感覚に因るものなのだ、という意見には賛成です
どちらにしても、女性になろうとして女装する、女性という性を遊ぶ感覚で女装している
性そのものがスイッチ切り替え可能なものになっているようです

異性愛のままで女装する男性は、「自家発電型」だと思ってます
自分自身が自分の性の対象になりきって、その姿に欲情しているのって、ある意味で究極ですよねー



エコ、
ロハス、
歌舞伎鑑賞、
着物、
郊外に複数人共同で別荘を借りる、
スピリチュアル、
自己実現、
友達親子、
自分へのご褒美、
かわいいおばあちゃんになりたい、
ゴールデン街で一人飲み

以上、私が「手を出してはいけないこと」として自分に言い聞かせているものたちです

でもマイ箸は持ち歩いてるけど!



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『アムリタ』 上・下


「私」という存在の境界線が薄れて、周囲と溶け合って、全ては大きな流れに


そこにいてくれることが当たり前で、
むしろその人が傍にいないことは想像もつかなくて、
安心感に包まれている

けれど、

「さよなら」と言い合って別れてしまったら
もう一度その人を目で見て感じるためには
「会う」ということをしなければいけない


「会う」という意思を持って
相手の「会う」意思を確認して(これが大変)
お互いが「会う」ことができるように努力しなければいけない


いくら携帯電話が便利だからって
いくら東京の終電が遅くまで走ってるからといって

「会いたい人と会う」ということは、実はかなり奇跡的なことなのではないか

この瞬間、この人が私の傍にいるという状況は、
ただ成り行きでそうなったのではなくて、
どこかで何かががんばって、ちょっとの無理をして、
どうにかこうにかやっとこさ出来上がった結果なのだよ、きっと






『イルカ』


「一生懸命になること」と「必死になること」の差って、どこにあるんでしょう

下世話な例えになりますが、
男性はよく「ひたむきに一生懸命がんばってる姿に惹かれる」と言いますよねぇ
(女性誌を立ち読みして得た知識なので事実か知りませんが)

でも反面、「切羽詰った女は怖い」とも言いますよねぇ

誰かのことが好きで、嫉妬と独占欲にかられて必死な形相で追いかける女
っていうのは、確かに「切羽詰った女」かもしれない

その違いって、なに?

余裕の有無ではないですよね


A子さんがB君に何かをやってあげた、とします

A子さんが「B君のために」やったことなら、「ひたむきで一生懸命」

A子さんが「自分(A子さん)のために」やったことなら、「必死で切羽詰まってる」

そうゆうことなんじゃないか、と
単純に



人は人に優しくされたい



誰もが人に話を聞いてもらいたいし、見ていてもらいたいし、優しくされたいのだ。






何かのリハビリのようにばななばっかり読んでましたが、そろそろ終わり

「最近ばなな読んでる」と話したら、「よしもとばななの本は、最初の一言目からばなな臭がする」「ばなな臭が強すぎて辟易する」と言われた

それがいいの
それが魅力なの

臭いものが食べたくなる時って、あるから

パクチーが入ってない生春巻きなんて嫌だ!

でもだからと言って「パクチー嫌い」という人に「おいしいから食えよ」とは言わないでしょ

だから私もばななをお薦めすることはありません


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吉田秋生の漫画です。

1巻が「蝉時雨のやむ頃」、2巻が「真昼の月」というタイトル。


吉田秋生の漫画の中で何が好きか?
という話をしていた時に、私が挙げたのは「カリフォルニア物語」と「河よりも長くゆるやかに」でした。

「それならきっと、これも好きだよ」と勧められたのが、これ。

うん。確かに。

あぁ分かるなーこの気持ち。うんうん。
と、穏やかに頷きながら読めます。

主な登場人物は、幸(シャチ姉)、佳乃、千佳の3姉妹と、新しく家族に加わった妹のすず。
幸・佳乃・千佳の父親は外で女を作って家を出て行って、その後に母親も娘たちを置いて家を出たので、3姉妹は祖母に育てられた。その祖母も亡くなり、今は鎌倉の古い大きな家で3姉妹で暮らしている。
看護婦として働いている、しっかり者の幸。
町の信金で働く、酒豪で男運の悪い佳乃。
スポーツショップで働いている、食い意地の張った末っ子の千佳。
彼女たちの父親は女と一緒になるために家を出て、その女との間に生まれたのがすず(中学2年生)。その女も亡くなり、父親は別の女と再婚(連れ子2人)、その後、父親も亡くなる。両親をともになくしたすずを、3姉妹は「一緒に住もう」と誘い、鎌倉での生活が始まる。

という話。

一緒に生活する中で、佳乃の彼氏の話や、すずのサッカークラブのチームメイトの話、幸が同じ病院の小児科医と不倫している話、3姉妹と母親との確執など、いろんな話が絡んでくるのだけど・・・

誰に一番共感するか、誰に感情移入してしまうか、というと、これは結構意見が分かれるんじゃないかと思う。

勧めてくれた人は、3姉妹の母親のことを「分かるー」と言っていた。
この母親、ほんとにもう、どうしようもなくダメな人。
でもこういう「ダメな人」っているもんだよなぁ、しょうがないんだよなぁって、そう思えてしまう。

私は、不本意ながら、幸に共感します。
その気持ち、痛いほど分かる。
何か厄介事を振りかかって、自分がそれを丸ごと飲み込まなければいけない時に、空を見上げながら「んー。しょうがないかー」と呟いてしまう、あの気持ち。
母親との関係も、「あー。それ、あるある」と膝を打ちました。


吉田秋生の作品には、いつも「ダメな母親」が出てくる。
アッシュ・リンクスの母親も、ダメな人じゃなかったっけ。
ヒース・スワンソンも母親との確執を抱えてた。
家族の中でのコンプレックスを描かせると、ほんとにうまい。ヒースがいつまで経ってもテリーへのコンプレックスから抜け出せないのとか。


ちなみに、この漫画を勧めてくれた人に言わせると、「吉田秋生の漫画で好きなものは?って聞いて、「ラヴァーズ・キス」か「YASHA」って答えたら、勧めなかった」らしい。

でも私、「BANANA FISH」は好きだよ。

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