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トニー賞9部門制覇、6137回の公演、664万人の観客動員、15年のロングラン記録。伝説のミュージカル「コーラスライン」16年ぶりの再演。ブロードウェイの頂点を目指し、8ヶ月におよぶ苛酷なオーディションを勝ち抜いていくダンサーたちの生の姿を追う。
監督は、ミュージカル「ヘアスプレー」でトニー賞を受賞、ドキュメンタリーを含む3本の映画を監督し、ブロードウェイとハリウッド双方で活躍するジェイムズ・D・スターン。共同監督にアダム・デル・デオ。ダンサーたちが抱える葛藤や熱き想い、選ぶ側であるスタッフたちの苦悩を、オーディションの進行に重ねて描き出し、まさに“生きたコーラスライン”といえる作品となった。


出演:マイケル・ベネット、「コーラスライン」オリジナルキャスト&スタッフ






人は何に感動するか。

「人は」を「私は」に置き換えてもいい。


私は、何を見て、何を聞いて、何に触れて、感動するか。


誰かが自らを曝け出している姿に、感動する。


相手が発する波動が大きければ大きいほど、私がそれに揺さぶられる振り幅も大きくなる。



そして、なぜ私は感動を求めるのか。


感動している自分を客観的に感じると、生きていることを実感できるから。


動いていないと、生きているのか死んでるのか、自分でも分からなくなっちゃうんだよ。

体も、心も。



誰かが私に曝け出してくれるのを求めて、私は誰かに喧嘩をふっかけたり、わざと怒らせたりするのかもしれない。
誰かを怒らせて、怒られて、メソメソ泣く私。
というのが、実はかなり快感だったりする。
誰かを曝け出させて、私も曝け出しちゃうの。

怒る姿って、実は一番無防備よね。




ライブも、それなのかも。 

ステージは虚構だけど、あの「お互い曝け出し合って密になる空気」が快感なの。

むしろ・・・虚構だからこそ、いいのかな。
安心だもんね。
安全だし。
ライブハウスから一歩出れば、曝け出したことをなかったことにできるから。




ブロードウェイの舞台に立つために、文字どおりガムシャラになっている人たちは、生きていました。
生きている。



あまり期待しすぎないように、求めすぎないようにしてるのよ。
期待が外れた時のショックを少しでも小さくするために。
・・・これって恋愛と同じね。



僕は、今の僕にできることをするだけ。
だから結果は気にしない。



強がることも、怖がることも、虚勢を張ることも、予防線を張ることも、
どれもこれも、生きていくために自らあみだした知恵。

しばらくすると、自分がそんな知恵に頼って生きていたことを恥じて、また新しい知恵を生み出すの。





映画はおもしろかった。
「青」と「春」が好きな人にはおすすめ。

 

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1940年代のアメリカ。会社経営者のハリーは長年連れ添った妻パットとの穏やかな生活を捨て、若く美しい戦争未亡人ケイと一緒になりたいと考えていた。親友のリチャードにこっそりケイを紹介し、決意のほどを明らかにするのだった。しかし、自分がいなければ妻は生きていけないと信じるハリーは離婚を切り出すことができない。悩んだ挙げ句、パットを苦しめるくらいなら、いっそのこと殺してしまおうと思い至る。




ドラマ性に乏しいし、訴えかけるものもないし、衝撃もない。

それが分かった上で、こういう映画が観たかったの。


おもしろいのは、

ハリー(夫)はパット(妻)のことを、「僕がいなくなったらパットは生きていけないだろう。そんなかわいそうなことはできない。そんな目に会わせるくらいなら、いっそ僕の手で殺してあげよう。」と思っている。

パットはハリーのことを、「私がいなければ、ハリーはすぐに酒に溺れて、シャツはシミだらけになって、ボロボロになってしまう。あの人を捨てることなんて、かわいそうでできない。」と思っている。(パットも浮気中。)

という食い違い。

あんまり他人事じゃないし、笑えない。

きっと誰もがちょっとくらいは思ってるでしょ。
「私がいなければこの人はダメになっちゃうから、傍にいなくちゃ。」
「僕が傍にいないとこいつは何にもできないから・・・」

そんなものは幻想にすぎない、かもしれません。

でも幻想を信じることが人生ってもん?




ファッションは見応えあり。
40~50年代のアメリカのファッション。
白シャツにペンシルスカートを合わせるのとかね、とてもかわいい。


 

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思ってたよりもよかった。

コースケが帰ってこないことで荒れているリサの頭を撫で撫でするソースケに、ちょろっと泣いてみたり。
親子モノに弱いんです。


ジブリはいつもそうだけど、女が強いねー。
今回は露骨にカカァ天下。
オトコ?なにそれウマいの?
という、ね。

叶姉のようなポニョ母。仰向けになって泳ぐ姿に迫力がありすぎる。あれと一時的にでも夫婦(?)になれたというだけでも、フジモトは偉い男だと思うよ。
海の神様は女の人と決まってるもんね。

とにかく女。女。女。
世界を変えるのも女で、崩壊を阻止するのも女。
男はそのために使われる道具。
フジモトはパシリ。


ハッピーエンドで終わる人魚姫ですね。
今、5歳かー。
これからずっと一つ屋根の下で一緒に暮らして、17歳くらいになったら「お前まじうぜーし!」「はぁ!?それはこっちの台詞だよ!」「誰がお前なんかと付き合えっかよ!この半漁人!」ってことに・・・なったら悲しいね。

やっぱりハッピーエンドで終わってよかった。



実写版にするなら、フジモトの役はV系麺がいいね。かりゅーとか。

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だいじょうぶです。
確実に笑える。楽しめる。



音楽を「歌う」でもなく、
音楽を「作る」でもなく、

音楽を、やる。

音楽をね、ヤるんだよ。

そのためには何が必要か。

恋愛?
バカ言っちゃいけねぇ。

負だよ!

負のパワーだぁぁぁ!

っていうのが見どころとして楽しいよね。


マイナスのものを一発逆転、起死回生するの。
それを見るのが楽しいの。


「おいおい・・・君、だいじょうぶ?」って人が、ステージに立った途端に爆発する姿、
大好物です。


この映画の作り手さんはさ、そういうファン心理を敏感に掴んでるくせに、映画の中で描かれているファンの姿がなっとらんよね。
私はメタルとか知らないけどさー。
ライブハウスにたむろしてバンドに狂ってるような人って、あんなに生き生きした目はしてないと思うよー。
みんなもっと、こう、、、妙に退廃的な目つきじゃん。
「えーだるいしぃーつーか殺すよ?」みたいな。
役者さんはすごいねぇ。目がキラキラしてるよ。でも現実はそんなキラキラしてないよ。
最前付近で半畳くらいのスペースとってヘドバンしてるのも、なんで後ろから突き飛ばされないのか不思議。
盛り上がりまくりなライブで、パンピの女が「ちょっとすみませぇ~ん」とか言ってズイズイ前に割り込んできたら、まずもって刺されるだろ。

などと意見してみる。


何はともあれ、松山ケンイチと松雪泰子ですよ。
松山ケンイチの変身っぷりと、松雪泰子のキレっぷり。
それを見るだけで楽しいから、全てよし!です。
「手ぶらでトイレに入ったのに、なんでクラウザーさんに変身できるの?」とか、「東京駅からライブハウスまで走るシーンがショボい」とか、そんなの突っ込んでたらキリがないの。


笑って楽しく!


それにしても混んでた・・・
あんなに混んでる映画館は久しぶり。


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監督・脚本 : 阪本順治
原作 : 梁石日

幼児の人身売買、幼児買春、臓器売買を扱った映画。
ドラマではなくノンフィクションです!と言おうとしているものの、結局は陳腐なドラマ性が出てきちゃってますよー・・と。

内容
新聞社のバンコク支局で幼児人身売買を取材する記者、南部は、日本人の子供がタイで心臓の移植手術を受けることを知り、その裏に闇社会の臓器密売が関わっているという情報を得る。
タイの養護施設でボランティアをする女、恵子。臓器売買の事実を知って憤る。
現実とは。ジャーナリズムとは。仕組みを知った人間はどうすればよいのか。



エグい。


相当に、エグいです。


本気で見入ってしまうと、かなりキツい。精神的に侵食されるよ。


ドラマじゃないからね。現実に起こっていることだから、それが想像できるだけに、映像で見せられると辛い。

でも映画自体はかなり俗っぽいので、その俗っぽさが垣間見えると、かえって安心する。一瞬の清涼。
特に涼やかだったのが、宮崎あ*おいの演技の下手さ。
彼女が演じる「恵子」なる人物のバカさ加減とKYっぷり。「あ、KYってこういうことを言うんだ!」というお手本ですね。もうね、恵子が出てくるだけで「どっか行け」と強く願うよ。そして登場するたびに、こちらの期待を裏切らぬ暴走っぷり&バカっぷりで、私は「ちょっ!おまっ!ほんとどっか行けよ!」と憤る。
それに輪をかけて辟易させられたのが、演技の方ですが。
あの人って「演技派女優」って言われてるんじゃなかったっけ?
彼女がスクリーンに映るたびに、空気が滞るんだよ。一人だけ別次元にいる、みたいな。
恵子っていう登場人物がそういう役だから、そこを高度に演出してみたのだろうか。
うーん。たぶんね、これは、、、全てを見越した上でのキャスティングだ!宮崎あ*おいという女優さんは、「かわいくて愛される役」を演じさせると他を寄せ付けぬ強さがあるけれど、汚れ役は無理なの。どこまで脱がしても剥がしても、決して「宮崎あ*おい」という仮面は取らないから。そういう厚顔無恥な正体を承知した上で、この恵子という役をキャスティングした。そう思いたい。だって恵子ってそういう役だもん。
映画を見る時、役者が出演している場面で何に最も心打たれるかって、演じている人間が全てをかなぐり捨てて役を演じている姿、でしょ。役者という人間を見ているのではなく、ある人間に別人格が憑依した様子を、見ているの。それでいて役者の色っつーものも、実は見えていて。
それなのに、役者という人間自身の「私」が垣間見えちゃうと、興醒めなのよ。

切羽詰まった局面でも自分をかわいく見せることに手を抜かない。

その姿に、「あー。こいつには何言っても通じねーな」と思い、脱力するのです。


映画を見ている側に違和感を覚えさせるような演技力の俳優ばかりが揃っている時点で、この映画はドラマなのですよ。
ノンフィクションなの?ドキュメンタリー?ドラマとして見ていいわけ?どっちだ!?


あー。
それとね、ジャーナリズムって何だろう?っていうのもテーマの一つになっていた。
自分の目の前で問題が起こっている時、ジャーナリストはどうするべき?
助ける?
手を差し出す?
それとも、その景色を目に焼き付けて報道する?

物事を伝えるということは、伝える者自身をはっきりと反映させてしまうよね。
通過させた媒体の色は、確実に出ます。

じゃぁ、その媒体は、ジャーナリストである前に一人の人間であるべき?



ラストも、確かに衝撃的でした。
それほど心打たれることはなかったけれど。

私が一番衝撃を受けたのは、エイズに感染した女の子が小屋の中で亡くなって、その体に大量の蟻がたかっていた場面です。
あの一コマが何よりも悲壮さを物語っていたと思うの。




何にせよ、扱っているテーマは重いです。

でも、これと同じだけの重みを得たいのなら、テレビのドキュメンタリーを見ていればいいかと思います。

恵子が言い放った「私は自分を偽ったりしない!」(だっけ)というセリフと、
エンディングでこれ見よがしに流された某方の曲に、
「そりゃねーよ!」と盛大に仰け反りつつ・・・



まぁまぁかな。




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