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あっくんのバースデーイベントに行って、久しぶりにあっくんのドラムを見て、あーやっぱり上手いんだなーあの細かさと正確さはすごいわーって、確認。
Sugarが解散を発表した頃くらいかな。その前からかな。あのドラムの人、つまらなさそうだなーって思ってた。ドラム叩いてても、嫌々演奏してるように見えてて、それがすごーく嫌だった。
緻密にこだわってセッティングされたドラムセットの中に座って、きっちりかっちりとドラムを叩くあっくんが
似合わないのに髪セットされて、分厚くアイメイクされて、ヒラヒラの衣装を着させられてるあっくんが
Sugarやるまで聞いたこともなかっただろうに、名古屋系なるものの真似事させられてるあっくんが
能力を盛大に無駄遣いしてるんじゃないか・・・?っていうギャップが、
それこそが魅力だったよなぁって思ったり。思わなかったり、思ってみたり。
あっくん in ドラムセット
で、
ゆらゆら揺れながらきっちりドラム叩く。
というのが好きで、
というかそれだけが好きで、
そうすると、あのバースデーイベントはどういうスタンスで眺めればいいのか分からないなーって、うーん、うーーーん、困った。
相変わらず上手かった。
楽しそうだったから、見ていても楽しかった。
上手い人は、即興でも専門ジャンル外でも、何でもできちゃうもんなんだなぁって思ったよ!
それに相変わらず、「この人、能力の無駄遣いしてんじゃね?」って部分があったし?ん?
うだうだ・・・
あっくんにはあっくんの音楽人生があって、私はそのほんの一部、「Sugarの篤人」としてドラム叩いていた、
しかもそのうちの一時の「あの」姿が好きだったのね・・・!
・・・センチメンタル・・・
そんでね。
客席の最前列にはちゃんとあっくんのファン(らしきバンギャル)たちがいたよ。
その人達と自分との間に、ものすごい断絶を感じたよ。
優越感ではない。決して。
Sugarが解散して半年経つけれど、あの人たちはこの半年間もずっと変わらずあっくんのファンで、今回のバースデーイベントのチケットもがんばって早番取って、最前列に入っているのだわ。きっと3日間4公演、全部行くんだろうな。
「私が好きなあっくんじゃないから、今は興味も熱もないの」とアッサリ切れるのが、私。
「私が愛したSugarじゃないから、もうそんなに見なくていいや」と、他のおもしろいものを探すのが、私。
そんな私が疎外感を感じるような場所だった。
この日はラルクコピーの日、と思って見に行ったけど、そうじゃなかったらしい。
肝心のラルクコピーは
Shout at the devil
flower
Driver's high
HONEY
でした。
ドライバーズハイはよく分かんない。知ってる曲だけど、あんまりきちんと認識してないから・・・たぶん。
もっといっぱいコピーするもんかと思ってたよ。
勝手に期待して勝手に失望している我儘なファンが呟くよ。
あっくんも難儀なミュージシャンだね。
自分から「俺はこういうことしたいんだ!」と発信すると、それは客(ファン)が望んでいることとズレていて、受けない。
「俺がこれやりたいから、お前これやれよ」と他人に言われて、自分の引き出しにはなかったことを強要されて、いっぱいいっぱいになりながらやらされていると、なぜか客に受ける。
「客に」っていうか
「私に」か!
何も置かれていない、レベルゼロの地面が見えていないと、不安になるんですよ。
家柄とか、学歴とか、肩書きとか、経験とか、培ってきた人間関係とか、そういうのを全て取っ払った状態の、人間としての自分がどう在るのか、ということを認識したくなる。
もちろん、これまでの人生で得てきたものは大事だから、それを捨てたいわけではないし、否定したいわけでもない。
でもそういった重みをどかしたところにある自分は、たしかに存在できているのか?って、時折不安になる。
一匹の生き物としての私は、この身一つでどこまでできるものだろうか?
拠り所の話には考えるところ有り有りなのです。
「カツマーを目指すな」と噛み付いたところに香山リカの成功があったのに、なに擦り寄ってるんだよー迎合してんなよーと思っているのです。
確かにいるらしいけど、どこに生息しているのか分からない。という人たちはいるよね。石原都知事の支持者とか。カツマーとか。あと私はトワラーにもお目にかかったことがないな。
私の弱みは、「拠り所の危うさばかりに目が行ってしまうところ」かな、と。
理屈抜きで信じることは、時に必要なことなのでしょう。
だから私は「盲目になりきれない自分」をコンプレックスと感じることがある。
春樹信者の友人が言っていたこと。
春樹以前と以後では、人と人の関係、特に男女関係に大きな変化があった。相手と対面して向かい合う関係から、二人で肩を並べて、二人で同じ方向を向いている関係に変わったんだ。
向かい合う関係から、同じ方向を向く関係へ。
とても分かりやすくて端的な説明だと思った。
これって、お互いが相手を拠り所にする関係から、二人で同じ目標を拠り所にする関係に変化した。ということでもあるよね。
でもどちらにしても「拠り所」そのものは必要なんだよね。
拠り所っていうのは、つまりは幻想で、
幻想を自分の脳内から外部に持ち出すことが「関わる」ということで(対人でも対物でも)、
拠り所を完全に否定するということは、脳内の幻想を流出させないってこと。
本当に本気で「仕事」や「結婚」を拠り所にして、そこでの成功が人生の成功だと思い込んでいる人がいるとしたら(・・・いるんだろうな・・・)
それは全くもって幸せなことでしょう。
でも、それに対して多少の疑問を抱きつつも「***が拠り所です!」と公言して生きていくことの方が、拠り所そのものを否定して生きていくよりも、ずっと楽なんだと思う。
例えば、係長だった人が課長に出世したとする。「仕事が拠り所です」と言っている人であれば、「出世した」という事実をもってすごく大きな喜びを感じることができるのだろうし、それをもってさらにがんばろうと思えるんだろうし、人生に対するモチベーションも上がるでしょう。
でね、私はそこで「その肩書きを全部引っぺがして、丸裸で外に放りだしたら、あなたの価値はどんだけのものだろう?」と考えてしまう。別に、出世を喜ぶことを否定してるわけじゃないんだ。ただ、そういう視点も失いたくない、という意味で。この職場で出世するための努力をして、その努力を結果として実らせた、という事実は確かなものだし、評価されてしかるべしなんだ。でもアフリカ大陸のどこかの部族と垂直跳びで勝負したら、勝てないよね?と。くだらないかもしれないけど、極端に言えばそういうことなんだよ。
無限にある場所の中の、たった一つのところで小さな成功を得たことで、全世界に勝利したかのように誇ったり、ましてや他者を見下したりするのは大間違いだ。
それを理解した上で、私は諸手を挙げて「おめでとう!」と喜ぶよ。
恋愛も同じだよ。
恋愛市場に我が身を置き続けることが偉い、という風潮が、私には辛いです。
常々思っていることだけど、私にとって大事なのは「彼氏(という肩書を持った人)」ではなく「彼氏と一緒にいる私」でもなく、「その人」なの。
中村うさぎが、「腐女子というのは「恋愛市場に身を置きません」と堂々と宣言しており、革新的な存在だ」というようなことを書いてたな。中村うさぎ本人は、「恋愛市場、女市場にすがりつき続ける」ことを売りにしているから、余計に新鮮なんだろか。
何かしら拠り所を作らないと、世の中うまく回らないもんなー。
政策一つ取っても、こうも価値観が多様化しちゃってると、「これをすれば(選挙民に)喜ばれる」ってものがなくなっちゃってる。
女性誌で「モテ」が流行ったのも、「モテる=幸せ」という公式をみんなが共通理解として持っていることが前提だからね。
姫野カオルコが、「思春期の頃は「勉強をがんばりなさい」「スポーツに汗を流しなさい」「男女交際なんて絶対ダメ!」と言われ続けていたのに、20代後半になると一転して「結婚しなさい」と言われる。結婚というのは「毎日セックスしなさい」という義務を課せられることでしょう。それまでは「してはいけません」と禁じられていたものを、ある時から「しなさい」と言って、相手をあてがわれる。その状況が気持ち悪くて気持ち悪くて、仕方がない。」というようなことを書いていた。
ほらー。
真面目な人は他人の「拠り所」に振り回されて混乱するんだよぅ!
でも姫野カオルコおもしろいよね。
おもしろさの上に、薄く「虚構の膜」を張っているところが好きだよ。だって「姫野カオルコ」だもん。
徹底的に「リアル」で勝負しようとする勝間和代とは、そこが違うと思っている。
のではなく、
「分かっているけど、できない」
実際の話とは違うけどさ。
例えば、よくある「こうしたらモテる!」っていう技やら秘伝やら。週刊誌から女性誌、男性誌まで、雑誌が好きなのでよく目にするのですが。
私が雑誌というものを目にするようになってから、ずーーーーっと同じような特集が組まれてきているわけだ。だからもっとずっと前から、ずーーーーっと尽きないテーマなわけだ。
そして、書かれている内容の本質は、大して変わっていないわけだ。
たとえ、今の流行りが草食男子であろうとも、エロカワが流行ろうとも、結局はコンサバが一人勝ちしようとも、求められているものに大きな変化はない。
目を潤ませて上目遣いで見上げながら甘えた声を出すとモテます。
この行為自体が「できない」人は、ほとんどいないんだ。身体的には。
だから、やろうとすれば誰だってできる。一般的に判断される美しさの度合いに関わらず、やろうとすればできる。できてしまう。
だから、これを「できない」と言う人は、「そんなことをしている自分」を客観的に見て、自尊感情を傷つけられるか、自意識に反するから抵抗感がある、のではないか。
そんで、それは決して悪いことではなくて、そういう人にとっても「なぜか抵抗感なくできてしまうこと」は必ずあるので、バランスは取れているのだよ。たぶん。
***をやりたい。
↓
***をしている自分を想像すると、それは「(私が考える)自分像」に反するから、やらない。
↓
***をすることはできない。
という流れがあるんじゃないかと思った。
だから、「これはできないな」と感じた時に、それを敢えてやってみようと思った。
そうすれば、上記の矢印を下から上に遡れるんじゃないかと考えたから。
***をすることはできない、と感じた。
↓
でも敢えてわざとやってみる。
↓
私が自分で考えてた「自分像」がどういったものだったのか、自覚することができた。
↓
その「自分像」に反する行為をした、という経験をもって、新しい「自分像」を再構築することができた。
まぁつまり、自分の幅を広げたいんだ。
常に新しいことに挑戦しておきたい。生きているし。一応。
他人からしたら「なんだそれ」っていうしょうもないことでも、自分にとっては面白い。
自分の中の選択肢になかった行動が、ふとした時になぜか抵抗感なくすんなりできてしまうこともあって、そういう時に人生はおもしろいなぁーって思うよ。
私ねー
目の前に2つの選択肢があるとすんの。
1つはおおよその答えが見えていて、正解に至る道も予想がつくし、やり方も分かっている。
もう1つは超難解で、手強くて、むしろ私の手に負えない可能性が高くて、私が傷つくことになることが薄々分かっている。
という状況になると、どーしても後者を選んでしまう。
分かってるんだけど、後者を選んじゃうの。
というか、後者を選ばざるをえない。
薬の禁断症状みたいにね、手をプルプル震わせながら「ダメだ・・・こっちに手を伸ばしてはダメだ・・・!」とかブツブツ呟きながら、「あ゛あ゛あ゛ーーーーー!!!やっぱりこっちぃぃいい!!!」と、結局は難しい方を取ってしまう。
「ほんと、メゲないね」と言われることが多い。
そんで、壁に激突してめそめそ泣くことになるんだ。
壁に激突することが快感だとか、ドMだとか、そういうんじゃなくて
壁に激突して撃沈することによって、自分をもっと知りたい、とか
そういうことじゃないかなー。分かんないけど!
そして今また、大きな壁に突撃しつつあります。
やめとけー
不幸になるぞー
また泣くぞー
いい加減落ち着いて大人になれー
そう言って引き留める自分の声を聞きつつも、やはり歩みは止まらない。
目標に狙いを定めたら、そこしか見えない、それしか頭に入らなくなります。肉食系ですからあははー。
2010年は初めっから楽しいことになりそうだ!
THE SLUT BANKSとlynch.の2マンだった。実はけっこう豪華?
カウントダウンの瞬間は、前座のお笑い芸人がネタやってた。ヤザワエイキチのモノマネする人。けっこうおもしろかったな。私、永ちゃん好きだから。
スラットバンクスのライヴが始まった途端に一斉に男が転がり始めた。こわーい。こわーーーい。逃げろおおおお・・・・・
ああいうバンドのモッシュって痛いからイヤー。
適度な轟音が眠気をさそう。
TUSKがこうやって歌い続けているわけだ。それはなかなか感慨深い・・・ような気がする。
で、lynch.へ。
ライヴ始まる前に、幕の下の方がけっこう開いていて、セッティングしてるのが見えたの。見えるのは脚だけなんだけど、「あ、これ悠介」「これ葉月だ」ってけっこう分かるもんでさ。悠介の脚に驚愕した。あれ、腕だよね?腕の細さだよね?薄い色のスキニージーンズと、白いスニーカー&紫色の靴紐だった。細い。
ライヴ始まって出てきたら、悠介が黒いパンツ(黒のデニム?)着てた。やっぱり細い。うわー。
りんち。
「皆殺しツアー」と銘打った秋ツアーと同じく、激しい曲だけで固めてた。しょっぱなから客がヘドバンしまくり。
それまでのスラッドバンクスの客とはまた違って、客層も男から女へ総入れ替えされてるんだけど、違うんだけど、熱気は同じくらいすごい。
りんちってさー
バンドがあれなのに、どうして客があんなに必死なの?
バンドは「俺達ビジュアル系にいるけどかっこいいロック」みたいな寒いことを目指しちゃってて、それなのに客はバンギャル全開で最前執着して麺に必死で粘着質。
曲、なにやったっけな。
横文字が苦手だから覚えられない。でも曲が始まれば頭は振れる。だから曲は覚えてるんだ。たぶん。でもタイトルと歌詞は分からないんだよ。
Over The Edgeからハシゴしてライヴだったから、りんちメンバーは既に酔っ払ってた、らしい?葉月が「もうベロベロです」って笑ってた。たしかに・・・葉月とれおさまは酔っ払いの顔だったな。酔っ払ってシャウトできるって、すごくね?
あとね、すっぴんだった。まるっきりすっぴん。
それは・・・どうなんだろう。
こうやって冷静に見ると、りんちはイケメンバンドなのかもしれない・・・!ドラムの人、オレンジレンジに似てる人いるよね。
「りんちのすっぴんってどーなんですか」と、ライヴ後にりんちファン(全員れおファン)に聞いたら、「こがのすっぴん、実はすごい好物!(赤面)」と言っていたので、、、ファンにはアリなんだなー、と。
葉月がさー
「CCレモンの楽屋で他のバンドと話してて、「りんちはこれから新宿ロフトで、スラットバンクスさんと2マンなんです」って言ったら、すっごい羨ましがられました!「そんなこと、できるんですか!?」って、みんな驚いてましたよ!」
「俺らはビジュアル系やってて、、、今はこんな、すっぴんですけど、普段は化粧してライブやってます。ビジュアル系だけど、ただ化粧してるだけのバンドとは違うことを、、俺らにしかできないことをやっていきたいです。」
私は、りんちのこの変な自意識が苦手だーよ。
ヴィジュアル系を守ることができるのはバンドじゃなくてバンギャルだ!ふんふん!!
硝子の箱
本、ライヴ、映画、靴、洋服
GRAPEVINE
D'espairsRay
Sugar
SUICIDE ALI
Re-Trick
g.o.d
1TYM
G-dragon
UNBILICAL
BELLY BUTTON
LOGAN
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