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硝子さんの職場には、北尾さんという女性がいました。
北尾さんは、硝子さんが今の部署に来る前に産休に入ってしまったので、一緒に仕事をしたことはありません。
先日、北尾さんが元気なお子さんを出産されたとのことで、メールにてご挨拶の連絡がありました。
そのメールは職場内のみんなに転送され、硝子さんのメールボックスにもそれは届きました。
メールの内容は、
無事に元気な赤ちゃんを産んだことの報告
と
結婚がいかに素晴らしいものであるか、
出産という経験がどれだけ素晴らしいものであるか、
生涯の伴侶を得ることの素晴らしさ、安心感、
家庭の温かさ、
自分は素晴らしい夫と巡り会えて感謝していること、
そして
「職場の独身男性の皆さん、結婚は本当に素晴らしいです!心からおすすめします(笑)」
(注:この職場は男性ばかりで、しかも独身が多い。)
さらに
北尾さんと旦那と赤ちゃんの3ショットの写真
赤ちゃんのアップの写真
でした。
硝子さんは、怒りや呆れることを通り越して、しばし愕然としました。
なんなんだろう、この人は。
北尾さんとは大して面識はないものの、共通の知り合いは多いし、少しばかり話したこともありました。その程度の付き合いですが、硝子さんにとっての北尾さんの印象は、「お金持ちのお家のお嬢様で、国立大を出て、大学院を出て、いつもノーカラーのスーツを着ていて、きっちり髪を巻いて、きっちりお化粧をして、食事が終わったら口紅を塗りなおすような女で、そして、食事などの場に男性がいると絶対に財布を出さない。」というものでした。
北尾さんは北尾さんの人生なりに、うまくいかないこと、挫折、絶望、喪失感など、あったのだろうと想像します。
そしてそんな北尾さんが結婚をして、
しかも「素晴らしい男性」と結婚をして、
「素晴らしい経験」である出産をして、
人生で絶頂の幸福感を感じて、
その素晴らしさを少しでも伝えたい
そう思われるのは、ま、ま、百歩譲って「当然」と言ってもいいでしょう。
どうしてそれほど、他の人の痛みに鈍感になれるんだろう。
人は幸せになると、他人の不幸せについて鈍感になってしまうのか。
感覚が鈍るのか。
望んでも結婚できない人や、望んでも子どもを作れない人がいる可能性を、どうして想像できないのだろう。
幸せを巻き散らかされることで自らの不幸をより深く感じて傷つく人がいることを、どうして想像できないのだろう。
こんな屁理屈は、「徒競争、みんな並んでゴール」と同じようなくだらない戯言に過ぎないんだわ。
誰かの幸せの裏には、別の人の不幸せが在る。
それがこの世の摂理ってものだから。
それでも硝子さんは不満を感じたんです。
無限に存在するはずの「幸せの形」の中のたった一つを、それが至上最高の唯一無二であるかのように押し付けてくる、その傲慢さに。図々しさに。
そして、それを「傲慢だ」と批判することが許されない、この社会に。
お子さんの誕生は喜ばしいことです。硝子さんにも祝福する気持ちはあります。赤ちゃんがかわいいと感じます。
赤ちゃんに罪はないんです。子どもの誕生に罪はないんです。
あんなご報告メールをもらって、笑顔100%で「めでたい」と言うのが大人なんですか。
どこか引っかかるものはないんですか。
結婚もしていない、出産の経験もない硝子さんが、北尾さんのような人の言動に対して批判的なことを言ったところで、言えば言うほど「敗北」の色が濃くなります。
結婚をしたことがない女が「結婚だけが幸せじゃない」と言ったところで、負け犬の遠吠えにすぎない。
「結婚だけが幸せじゃない」という言葉自体には誤りはないはずです。それは事実なんです。
でも、どれだけ正論であっても、消し潰されるんです。
自分が幸せを噛み締めている横で、辛い思いをして苦しんでいる人もいるってことに、どうして思い至らないんだろう。世の中は全てバランスなのに、どうして自分がいるところにしか意識がないんだろう。
悲しくなった硝子さんは、そう言いました。
すると彼はこう言いました。
バランスを見るのは大事なことだけど、バランスしか見ないのは、うまくないね。
他人の幸せや、他人の不幸せや、その量、バランスばかりに気を取られていると、
自分自身が抱える幸せや不幸せをないがしろにしてしまう。
全体だけではなく、個も見なければ。
そうなんです。
バランスばかりに気を取られていては、ダメなんです。
硝子さんの知り合いには、結婚したり子どもを産んだりしている人もいますが、その中の一部には北尾さんのような人がいます。
何か大事なものが決定的に欠落している人。
自分の幸福には敏感で、他人の不幸には鈍感な人。
そして硝子さんは、そういった人に触れるたびに、脱力感と淡い絶望感に襲われます。
他人の気持ちについて、ある程度は鈍感にならないと、自らの幸福を得ることができないのでは。
生きていくということは、迷惑をかける、ということです。
究極的に言えば、地球に迷惑をかけて生きているんです。
人間関係を持とうとすれば、そこには必ず「持ちつ持たれつ」が生じます。
自分は相手に迷惑をかけるし、自分は相手から迷惑をかけられる。
より強く深い人間関係を持とうとすれば、さらに強いギブ&テイクが生じます。
強く幸せを感じたのなら、その分だけ辛い気持ちを感じる日が来ます。
自分が幸せを得るということは、誰かが得られるはずだった幸せを少しづつむしり取っているということです。
その現実に鈍感にならなければ、幸せになんてなれないんです。
ほーら。絶望感。
硝子さんは煩悩に満ち満ちた欲深い人間なので、できるだけ人に嫌われたくない。人に迷惑をかけたくない。人に不幸を与えたくない。
でも自分も幸せになりたい。
あんな風に、北尾さんのように、他人の痛みに鈍感に、傲慢に、生き恥を晒すようなことはしたくない。
でも自分も強く幸せを感じたい。
この葛藤が、人間臭くて
やっぱり仙人にはなれないみたいです。
北尾さんは、硝子さんが今の部署に来る前に産休に入ってしまったので、一緒に仕事をしたことはありません。
先日、北尾さんが元気なお子さんを出産されたとのことで、メールにてご挨拶の連絡がありました。
そのメールは職場内のみんなに転送され、硝子さんのメールボックスにもそれは届きました。
メールの内容は、
無事に元気な赤ちゃんを産んだことの報告
と
結婚がいかに素晴らしいものであるか、
出産という経験がどれだけ素晴らしいものであるか、
生涯の伴侶を得ることの素晴らしさ、安心感、
家庭の温かさ、
自分は素晴らしい夫と巡り会えて感謝していること、
そして
「職場の独身男性の皆さん、結婚は本当に素晴らしいです!心からおすすめします(笑)」
(注:この職場は男性ばかりで、しかも独身が多い。)
さらに
北尾さんと旦那と赤ちゃんの3ショットの写真
赤ちゃんのアップの写真
でした。
硝子さんは、怒りや呆れることを通り越して、しばし愕然としました。
なんなんだろう、この人は。
北尾さんとは大して面識はないものの、共通の知り合いは多いし、少しばかり話したこともありました。その程度の付き合いですが、硝子さんにとっての北尾さんの印象は、「お金持ちのお家のお嬢様で、国立大を出て、大学院を出て、いつもノーカラーのスーツを着ていて、きっちり髪を巻いて、きっちりお化粧をして、食事が終わったら口紅を塗りなおすような女で、そして、食事などの場に男性がいると絶対に財布を出さない。」というものでした。
北尾さんは北尾さんの人生なりに、うまくいかないこと、挫折、絶望、喪失感など、あったのだろうと想像します。
そしてそんな北尾さんが結婚をして、
しかも「素晴らしい男性」と結婚をして、
「素晴らしい経験」である出産をして、
人生で絶頂の幸福感を感じて、
その素晴らしさを少しでも伝えたい
そう思われるのは、ま、ま、百歩譲って「当然」と言ってもいいでしょう。
どうしてそれほど、他の人の痛みに鈍感になれるんだろう。
人は幸せになると、他人の不幸せについて鈍感になってしまうのか。
感覚が鈍るのか。
望んでも結婚できない人や、望んでも子どもを作れない人がいる可能性を、どうして想像できないのだろう。
幸せを巻き散らかされることで自らの不幸をより深く感じて傷つく人がいることを、どうして想像できないのだろう。
こんな屁理屈は、「徒競争、みんな並んでゴール」と同じようなくだらない戯言に過ぎないんだわ。
誰かの幸せの裏には、別の人の不幸せが在る。
それがこの世の摂理ってものだから。
それでも硝子さんは不満を感じたんです。
無限に存在するはずの「幸せの形」の中のたった一つを、それが至上最高の唯一無二であるかのように押し付けてくる、その傲慢さに。図々しさに。
そして、それを「傲慢だ」と批判することが許されない、この社会に。
お子さんの誕生は喜ばしいことです。硝子さんにも祝福する気持ちはあります。赤ちゃんがかわいいと感じます。
赤ちゃんに罪はないんです。子どもの誕生に罪はないんです。
あんなご報告メールをもらって、笑顔100%で「めでたい」と言うのが大人なんですか。
どこか引っかかるものはないんですか。
結婚もしていない、出産の経験もない硝子さんが、北尾さんのような人の言動に対して批判的なことを言ったところで、言えば言うほど「敗北」の色が濃くなります。
結婚をしたことがない女が「結婚だけが幸せじゃない」と言ったところで、負け犬の遠吠えにすぎない。
「結婚だけが幸せじゃない」という言葉自体には誤りはないはずです。それは事実なんです。
でも、どれだけ正論であっても、消し潰されるんです。
自分が幸せを噛み締めている横で、辛い思いをして苦しんでいる人もいるってことに、どうして思い至らないんだろう。世の中は全てバランスなのに、どうして自分がいるところにしか意識がないんだろう。
悲しくなった硝子さんは、そう言いました。
すると彼はこう言いました。
バランスを見るのは大事なことだけど、バランスしか見ないのは、うまくないね。
他人の幸せや、他人の不幸せや、その量、バランスばかりに気を取られていると、
自分自身が抱える幸せや不幸せをないがしろにしてしまう。
全体だけではなく、個も見なければ。
そうなんです。
バランスばかりに気を取られていては、ダメなんです。
硝子さんの知り合いには、結婚したり子どもを産んだりしている人もいますが、その中の一部には北尾さんのような人がいます。
何か大事なものが決定的に欠落している人。
自分の幸福には敏感で、他人の不幸には鈍感な人。
そして硝子さんは、そういった人に触れるたびに、脱力感と淡い絶望感に襲われます。
他人の気持ちについて、ある程度は鈍感にならないと、自らの幸福を得ることができないのでは。
生きていくということは、迷惑をかける、ということです。
究極的に言えば、地球に迷惑をかけて生きているんです。
人間関係を持とうとすれば、そこには必ず「持ちつ持たれつ」が生じます。
自分は相手に迷惑をかけるし、自分は相手から迷惑をかけられる。
より強く深い人間関係を持とうとすれば、さらに強いギブ&テイクが生じます。
強く幸せを感じたのなら、その分だけ辛い気持ちを感じる日が来ます。
自分が幸せを得るということは、誰かが得られるはずだった幸せを少しづつむしり取っているということです。
その現実に鈍感にならなければ、幸せになんてなれないんです。
ほーら。絶望感。
硝子さんは煩悩に満ち満ちた欲深い人間なので、できるだけ人に嫌われたくない。人に迷惑をかけたくない。人に不幸を与えたくない。
でも自分も幸せになりたい。
あんな風に、北尾さんのように、他人の痛みに鈍感に、傲慢に、生き恥を晒すようなことはしたくない。
でも自分も強く幸せを感じたい。
この葛藤が、人間臭くて
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