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先日購入した「TALK×TALK」をようやく読み始めました。

「Kaya×真悟&篤人」と「Hitomi×SIZNA」は読みました。
(それだけで既に終わった感がある。)

かなり読み応えがあります。
文字でこれだけの量になるなら、実際の対談は相当な長時間だったのでは。


Hitomiの言葉は刺さります。
Kayaの言葉はおもしろい。
あと三人の話すことは、脳みそに掠りもしません。

今さらながら、ボーカリスト(もしくは歌詞を書く人間)の言葉には魅力があるんですねぇ・・・



Hitomiの語る言葉は「理解る」

真悟の語る言葉は「分かる」



誰かの話を聞いたり、誰かの言葉を読んだりすると、何度聞いても何度読んでもどうしても頭に入ってこないことがある。
どれだけ注意深く聞いていても、自分の脳みその表面で撥ねられてしまって中まで入ってこない。
水が弾かれるように。

それはきっと、両者の相性ね。

同じ言語環境にないんだよ。

同じ日本語のはずなのに、言葉がある土壌が違うと通じ合わないの。


Hitomiが話していることはね、すんなりと中に入ってくるの。
いつ沁み込んだのか気付かないくらい。
始めの一言を読んだだけで「あぁきっとこういうことを言いたいのね」って予想がついて、スラスラと読める。

この人が何をやりたいのか、何をやろうとしているのか、何にこだわっているのか、
それは非常に明確です。
この人の中でも鮮明に「これ」という形が見えているのでしょう。

対談では、そのことをとても丁寧に語ってくれています。

(いや、もしかしたら全て演技かもしれんけど?)

まぁ素直に読むならば
そんなに噛み砕いて教えてくれちゃって、だいじょうぶ?というくらい、懇切丁寧に説明してる。



HitomiとSIZNAの対談は、Hitomiの土壌で行われている。

言葉が全て、Hitomiに支配されている。

会話の流れが全てHitomi語で進行しているから、頭の中をHitomi言語にスイッチ入れ替えて読まなければダメ。
でもね、読み始めたらすぐにスイッチが勝手に切り替わるから。

対談を読んでいる間はずっと、私の頭の中はHitomi語で構成されていました。
Hitomiの言葉で文字を読んで、Hitomiの言葉で解釈して、Hitomiの思考回路を巡りました。

メインコンピュータに操作される無数のサブコンピュータの一つだった。


SIZNAというコンピュータにはHitomi言語は搭載されていなかったようで、全く言葉が通じていません。
でもこの二人はそこで通じ合わなくてもいい二人だと思うので、それはそれでいいんです。
そして私はそんなSIZNAが好き。


Hitomiが「感性のズレ」について解説してくれてます。
この人の言葉は、どうしてこんなに理解りやすいんだろう。
「理解りやすい」と感じる私は、そっち側の感性ということか。そうか。


そしてHitomiはカリスマではないの。
カリスマではないからこそ、魅力的なの。
Hitomiは私で、私はHitomiで、Hitomiはどこにもいなくて、Hitomiはどこにでもいるの。

偶像

蜃気楼


あぁ・・・
言葉にすることはHitomiの役割なので手を出すのはやめます。

でもね、Hitomiが言う「外見なんて関係ない、どうでもいい」という言葉の意味は、そういう意味なんだと思ってるよ。
謙遜でも何でもないんだよ。


Moranのライヴを見ていた時に、Hitomiの指先で脳内をいじられた気がするのよね。
「ここは、こっちだよ」って。

私はそれがすごく楽しかった。

曲の細部や演奏なんて記憶に残ってないけど、あの時の脳みその感覚はかなり鮮明に残ってる。





真悟はねぇ・・・

この人の言うことは、「分かる」んです。
だって正論だから。

ボーイスカウトや、道徳の時間や、就活の面接や、交際相手の親との会話、
そういったものと共通する何かがある。

で、
私は、
そういう日常と現実から離れるために、音楽を聞いてるんです。

あなたが話すようなそんな言葉を聞きたいなら、ヴィジュアル系バンドマンの対談集なんか読まずにan-an読むよ!読まないけど!





私の印象ですが

Hitomiは言葉を持っている。

SIZNAは言葉を持たず、思考しない。

篤人は思考を言葉にはしない。

Kayaは思考を言葉にすることに慣れている。

真悟は「思考する自分」が好き。



どれが正しいわけでもなく、誰が最良ということもないけれど、
この中だったら、私はHitomiのような人のライヴに行きたいわ。
Kayaのような人に身を任せたいわ。




世の中の表舞台は正論で固められているの。

人はこうあるべきだと、
毎日、毎時間、毎分、毎秒、延々と繰り返し説き伏せられているの。

その攻撃から身を守るために、ライヴハウスという防空壕に、一時的に身を置くんです。

防空壕に逃げ込んで、「あぁこれでもう安心」と思ったら、
ステージからいきなり正論というマシンガンを連射されました!


はぁ・・・





SIZNAがいいこと言ってた
「一体感を出すステージングを意識してやってみたりもしたんですけど、最近はまたそれもちょっと違うかなって思い始めていたり・・・」





他の対談も読んでみます。


※追記
読んだ。
半分くらい読んだけど、やっぱりボーカルと楽器隊とで言葉の選び方が全く違う。

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